特別寄稿 第三部 ”カド号千里を走る   俊水 (c)
類は車輪を二度発見することはできない…か?

軟骨を介さない骨間衝突が起ころうものなら、痺痛く(しびいたく) とても立っては居られない。
しゃがみ込んだり、座り込んだりしてしまう。
暫くすると楽になるのは、脊椎が曲がることで骨間に隙間が保たれるからだが、しゃがみ込んだり、座り込んだりしたままでは経を読むことができないから、この腰痛は死活問題である。
 現代医学にさほどの期待感を持たない拙僧は、仏法の教え「因果応報」 「自助努力」を今度こそは本気で修行し、かかる困難からの脱脚をせしめん と決意した。
すなわち骨間衝突とは骨の位置決め腱(けん)のテンション不全が原因。
加齢や運動不足により力強さを失った周辺筋力に喝を入れ、収縮力を復活させれば腱の機能は蘇り、骨間隙間は適正値を保つであろう、しかる後に腰痛よりの解放が必ずや果たされん。
「因(ちなみ)を知り あい正しき修行(おこない)を全うせば 芳しき結果(かんばしきこたえ)で 必ずや報(むく)われん 他に縋る(すがる)ことなかれ 頼るは己ぞ(おのれぞ)」 という我が母館(まなぴや)、「悲鳴山」修行の奥義。
 なぁ−んだ 小僧時代、修行を怠けては裏山の柿の木に跨がりメジロやモモンガと遊んでいると、尺杖(しゃくじょう)を振りかざして急坂を駆け登り、息も切らさず木の根に寄ると、大音響で仏法を迫った鬼のお師匠様 絶叫大僧正の言っていたことは、 こ−ゆーことだったのね。
拙僧 思わぬことで、仏法の真髄を悟った … 悟ったかも知れぬ。
と、ゆー訳で しゃがみ込んだスタイルそのまんま、赤ん坊のハイハイスタイルそのまんまながら、仏法の修行と同じくらいハードな筋トレが期待できる … かも知れない 自転車に目をつけた。
これなら拙僧にもできる … かも知れない、やらなければこのまま歩くことができなくなってしまう。
 石に座し黙して修行の経を詠むこと三年、達磨(だるま)大師の足は萎え(なえ)たが、拙僧は脚を失う訳にはまいらん。
拙僧には、いつの日か西方に旅し真実の経典(プッダマンダーラ)に拝謁する大事な仕事が残されている。
亡きお師匠様 最後のいいつけである。不肖の弟子だがこればかりは、命を賭しても果たさねばならぬ。
かくして 自転車修行 参る! の心境に至ったノダ。
もしかしたら、空気の薄いガンダ−ラ高原の急峻に駱駝(ラクダ)が倒れ、マウンテンバイク組み立て異境の炎暑寒獄の地を這いさ迷うことになるやも知れぬ。
クレバス越えの大ジャンプに着地が見えず、大蜘蛛の開口して待つ深淵に落ちるやも知れぬ。              
天命なれば それでもかまわぬ舎利(しゃり)にもなろうが、今はまだ 大願行脚の遥かな途中 うぬらのごとき異端のものに この身喰わせてなるものか。 いざ 参る! 天空の龍よ、地底の虎よ。
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