特別寄稿 第三部 ”カド号千里を走る” 俊水 (c) 人類は車輪を二度発見することはできない…か? |
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ドライジーネ 1817年(文化14年)
日本がまだ鎖国をしていた1817年、ドイツのドライス伯爵によって発明された世界最初の自転車。
ほとんどが木製で、ハンドルがついていたので、方向を変えることはできた。しかし、ペダルは付いていなかったのでまたがって地面を足でけりながら進んだが、時速15kmを出した記録もある。
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カド号千里を走る[I] | ||||||||||||||||||||||||
Knaight俊水 | ||||||||||||||||||||||||
宇宙船カド号のちょっとした故障に遭遇して、15世紀のヨーロッパに迷い降りてしまった発明王、レオナルド・ダ・ヴインチが、母星に還る手だてを模索してあれこれと考案しては挫折を繰り返し、シュワッチと唸り(うなり)ながらアイデアをスケッチに描きまくった幾百もの発明のなかで、現代のわれわれが、傑作度一位を選ぶなら、迷わず自転車を挙げる。そう答える人は多いはずだ。 垂直上昇機や有翼飛行機、それに姿勢制御のデファレンシャルに相当する差動機などなど 惚れ惚れするようなスケッチはそれ自体、絵画の感動と芸術の輝きを放つ、と彼の同僚ミケランジェロはライバル心を捨てて素直に絶賛している。 そのなかに地味だが一枚、凄いスケッチがあった。 長年その使用目的が解らず、相続者を悩ませ続け、モナリザ 真空管 そしてこの一枚は、ダ・ヴインチ三大謎といわれていた。 宇宙の彼方、アンドロメダ星雲群の故郷をめざし朝に夕に天空を見上げ涙していたダ・ヴインチが、世話になった地球への置き土産にと よもや、地べたを這う乗り物を用意していたとは、誰も想いを馳せなかったからだが。これが自転車で、 だから素敵度で選んだら文句なし一位が自転車だと、傑作一位間違いなしだと答える。 なんだか、はじめに自転車ありき の無理やり一位の論法のようだが、よいと思う。 人の意識の価値基準は“思い入れ”に支配されている それでよいと、拙僧も思う。 ダ・ヴインチが考案した自転車は、彼が故郷に帰るまでには実用化されることはなかったが、没後200年程経過した頃、材料や新素材の発見、加工技術の発達といった周辺技術の高揚を得て、彼のスケッチを基に、”ダ・ヴインチの自転車”を再現した人物があった。 ドイツの荘園城主カ−ル・フォン・ドライス伯爵、旅行先のルーブルでダ・ヴインチのスケッチを見て以来、“自転車”に並々ならぬ関心を示し、出入りの馬具職人に命じて”自転車”を作らせた。 当時、べルリンからパリを経由してローマまで 四頭立て馬車レースという賭け金レースを他の地方の荘園城主が主催していて、べン・ハ−やシンジョウなどスター選手の活躍に貴族の婦女子が熱を上げてのスタジアム通い。 鋼鉄製のべアリングが考案される20年ほど前のことで、デッドヒートのインコース争いでは遠心力と偏荷重に車軸が耐えられず、青銅の“たが”を嵌めた(はめた)木製の巨大な車輪が抜け出してコースを暴れ回ったあげく、客席の貧乏人専用席に飛び込んでは流血の惨事。 車輪の取れて傾きながら迷走する馬車に後続が突っ込むと場内騒然 阿鼻叫喚。 砂塵が晴れて仇役の選手は倒れ、美形の選手が立上がると拍手喝采 大山鳴動。 貴族の婦女子は安全な貴賓席から“おひねり”を投げる。 やがてレース馬車の一団はスタジアムを出てローマをめざしロマンチック街道を疾走する。 |
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