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北の山からこんにちは ?

 来場された団塊世代のみなさま、若いもんの話も真面目に聞いてくださいよ〜。

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好きな子の笑顔が見たくて・・・:周の幽王(在位:前781-前771)中国1人目
2014/03/08

早速の第1人目は、周の幽王を私なりに書きたい。
周の文王・武王や太公望が活躍する、殷周革命(易姓革命)により殷王朝(商王朝とも)から周王朝に代わって
12代目の周の王に即位したのが、幽王である。
因みに、幽王とは諡号であり、王の死後に残された方々が「あなたは、こんな王様でした」と表現してつけられるものである。
「幽」という諡号は諡号の中でもはっきり言って良いものではない。
意味は、
1.早くに父を喪い即位するもすぐに病没する。
2.国内に法令が徹底せず、国外に通達を出す事ができない(権臣に実権を握られ何も出来ないと言う意味もある様です)
3.動静が常に乱れ起居するに節がない(行動がだらしない・・・という意味だと思う・・・)
4.逆祀を行う(卑しい者を上に祀り、尊貴な者を下に祀る)←祭祀を重要視していた当時、これは重大なルール違反。
・・・とこのうち、一つに該当すると、残念な諡号の一つ「幽」をゲットできるということでしょう。

さて、そんな周の幽王様を簡単に書くとこんな方です。

周の幽王
名前:姫セイ(さんずいに星)

当時の周王朝は、家臣に追放された王がいたりと、
既に衰退期に入っていたので、彼が即位したときには、
もしかしたら傀儡となっていたかもしれないが、そうは言っても後に述べるように自身の意思を押し通している場面が多いので、それなりに実権はあったのだろう。

さて、彼が即位して一年・・・大地震があったそうだ。
当時、天災が起きるのは、悪い政治をしているんで天がそれを咎めている・・・と言った事が信じられていた時代であり、「これは周が滅びる前兆である」と発言した方も居たりと・・・即位して早々に大地震って言うのは為政者として最悪の不運である。

もしかしたら・・・それでやる気なくしちゃった・・・?

そんな為政者として最悪なスタートを切った幽王・・・

【褒ジ(女偏に以)】と言う美女に出会ってしまう。
さてこの女の子、出自は色々諸説あるが・・・
とにかく特徴をあげるなら「笑わない美女」なのである。

幽王様、この美女の笑顔が見たくなってしまった。
為政者としてやるべき事も放って、彼女を笑わせたくなってしまった。

そんな幽王が褒ジを笑わせる為にとった作戦

作戦1
当時の跡継ぎ(名前は宜臼(ギキュウ))とその母親の正妻の申后を廃嫡し、褒ジとその間にできた子供(名前は伯服)を正妻及び後継者に定める。
効果:どうもそれで笑ったと言う話はないので、作戦は失敗なのだろう。
さらに良くない事に、幽王と褒ジ母子にとって・・・この作戦1は致命的な事件となる。

作戦2
絹を裂く
偶然の産物だが、たまたま絹を裂く音を聞いた褒ジが微笑んだのを見た幽王・・・国中の絹を集めて裂きまくった・・・
効果:微笑みが見れたので、成功と言って良いかも・・・

作戦3
狼少年作戦
これも偶然の産物からなのだが・・・
ある日、外敵の侵入を知らせる狼煙が上がった。
これを見た、各地の諸侯は「王様が危ない!!」と日本で言う「いざ鎌倉へ」の精神で都へ集結した所・・・

狼煙は、手違いであった事が判り空振りを食らった諸侯は「あんぐり」「ポカーン」といった状態。

それを見た褒ジは大爆笑

笑った褒ジがわらった・・・!!

相当嬉しかったのでしょう幽王様・・・
その日から事あるごとに、嘘の狼煙をあげるようになる・・・

その度に空振りを受ける諸侯・・・

そりゃぁ・・・切れますわ・・・飽きれますわ・・・

効果:大成功!!

ですが・・・この事が、幽王人生において二つ目の致命的な痛手となります。

幽王をご存じない方も、オチはなんとなく読めて来たと思われます。

そんな状態の周王朝に突如反乱が起きる。

反乱の首謀者は、申候
先に廃嫡された申后の父親である。
犬戎と呼ばれた異民族と手を組んだ上に先に廃嫡された孫を旗印に周の都「鎬京」へ攻め込んだ。

さて有事が起きたので、当然狼煙を上げる。
が・・・諸侯は「また王様の悪ふざけが始まったよ」と相手にしない・・・当然だ。
まさにイソップ童話の「狼少年」と同じオチがやってきた。
あまりに似た話なので、イソップ童話がネタとして真似したのか、はたまた幽王の話が、イソップの真似か?
調べてみましたが、判りませんでした。
関連性があるようなら、面白いかと妄想はしますが・・・

結局、守る戦力の無い周の都は見事に陥落し、
幽王様は逃走中に捕獲され、息子共々惨殺された。
件の美女の褒ジは行方不明なんだそうだ・・・
どうなったのでしょうか・・・
仮説1記録に遺せないほど残酷に処分された。
仮説2後に祟りをおこさないよう呪術的なモノを施され処分された、その呪術の処方は公表する訳にいかない
仮説3実は、褒ジは周に圧力をかけられていた一族の放った工作員だった為、こっそりかくまわれた。(彼女の出自に関する話を読むとそれっぽい匂いがするのもあります)
・・・想像というより妄想にすぎません。

周王朝は、先に廃嫡されていた宜臼が即位し、
都を洛陽に遷都し後に「周の平王」と呼ばれた。

この事件を境に一般的に、中国は周王朝の時代から
周王朝は残っているが諸侯が言うことを聞かなくなる春秋戦国時代へ突入していったと言われる。(実際には事件の前から諸侯は自立しつつあったような匂いがプンプンしていますが)
何となくですが、応仁の乱を境に戦国時代に突入したとされている日本と似ていると思っていただいても良いかもしれないと個人的には思いますがいかがでしょうか?(周王朝≒室町幕府、諸侯≒戦国大名)

〜私の周の幽王に対する考え〜
実は私も「笑わない美女」に出会った事があります。
いや、「なかなか笑わない美女」と言った方が正しいです。
笑顔って元々とても良いものですが、これがまた中々笑わない子が、ふと何かの拍子で笑うのを目撃すると・・・これがまた・・・凄く良い!!と思った事があります。
残念な事にその子には私がさり気なく一方的に好意を持っていただけで終わりましたが・・・
それを思うと、世間は幽王をバカだとか阿呆だとか言って笑っても私は笑うことは出来ない。
大体、即位して速攻で天から地震と言う「ダメ出し」食らえば・・・もう、何もかもが嫌になっちゃうだろ・・・何かに逃げたくなるだろ・・・て思っちゃう訳です。
ただし・・・だ、世に名だたる名君と呼ばれるような為政者は、地震があったのなら「謙虚に受け止めて改善点を探し政治に活かす」とか「うるせぇ、見てろ!10年後は瑞祥がでるようにしたるわ!」とか天からダメ出しを出されようとも、きっと諦めないで全知全能を尽くすでしょう・・・

やはり、幽王は「為政者」としては残念極まりないと言わざるを得ないが、好きな女性に対する情熱(方法に関してはかなり問題があるが・・・)は、どこかで一歩引いてしまう私には、見習う要素が大いにあるかもしれない・・・一笑一笑(なんちゃって)

※「周幽王」とインターネットで引くと、様々な方が幽王の絵を描かれている・・・そこに映る幽王は、スケベそうでいかにも人間として終わっている・・・と言う絵が多いかと思ったが案外、もの静かそうでどことなく悲しそうな絵が多い。
どことなく幽王に対して同情に近いものを持つ方々が多いのかもしれないです。
※勝手ながら、画像をネット上より拝借いたしました。


いじめられっ子を庇ったらいじめられた:司馬遷に憧れて(序章)
2014/03/05

とある学校でR君がいじめられていた、先生はそんな問題に無関心どころか、むしろ先生がそのいじめに積極的に参加していた。

そんな状況でR君を庇うとどうなるだろうか?
火を見るよりも明らかで・・・

今度は、自分がいじめられる。よくあるような話です。

まぁ・・・先生がいじめの指揮を執るなんて事は、まずありませんが・・・そう願いたい・・・

そんな状況で、もし私はだったらR君を庇えるか?
正直に答えると・・・無理です。
良くて静観です・・・

しかし司馬遷は、R君を庇った。

本当に凄い勇気の持ち主だと思う。
しかも、喧嘩を売った相手は、学校の先生などいうレベルではなく、国民の生殺与奪を握る皇帝陛下劉徹である。
「あいつ気に入らないから、家族ともども首切ってやろう」とか思ったら本当にそれが出来る相手である。
実際、司馬遷は、死刑を宣告され、結局・・・
罪を贖う金が無いため宮刑(あんまり詳しく説明したくないので気になる方はお調べ下さい・・・)を受ける羽目になる。

意見の良し悪しはともかく正直に答えただけで・・・
漢の武帝(劉徹)恐るべし・・・

司馬遷の凄い事は、その後に「史記」ちゅう大歴史書を書き上げてしまう事である。
中国史をかじる上で「史記」知らないとか言ったら、
「マジで?」って言われてしまうほど後世でなく現在でも愛されてやまない歴史書である。
しかも、その史記の影響で、漢の武帝(劉徹)は、歴史上でも稀な名君でありながら、イマイチな印象を与えられてしまっている。

司馬遷恐るべし・・・

しかし、司馬遷の史記は、もっともっと崇高な物で、
本紀を読めば古代中国の王朝の変遷が分かり、
世家を読めば正統とされた王朝以外の国々の歴史がわかり、
列伝を読めば、そこに生きた個人の生涯がわかる。
そんな、痒いところまで手が届く歴史書である。
更に、歴史だけでなく哲学・地理等々まで紹介されていたり、当時の時代を学ぶにあたり手放せない素晴らしい書である。
さらにさらに、特大付録として司馬遷は、国の歴史・個人の歴史を記述した後で司馬遷自身の評価・意見を載せているので、司馬遷自身の人間性までうすらぼんやりと感じる事ができたりする。
一応、歴史を勉強してきた人間として、司馬遷は憧れの的である。
故に、私は司馬遷が若い時に旅をして各地の歴史に触れた真似をしたりする。

内容の濃さはきっと月とスッポンでしょうが・・・

話は、史記に戻りますが、横山光輝氏は、司馬遷の「史記」を列伝を中心に漫画化しました。
他にも史記を漫画にした方はいますが、私は横山氏の史記が最も史記に触れやすくわかり易いと思うのです。

横山光輝氏の歴史漫画を読んで育ったせいで、横山氏贔屓になっているのかもしれませんが・・・

さて、私が長々とこんな事を書いたかと言いますと、
ありがたいことに自分を表現する場をいただけ、その中で何を為すか考えた所・・・
司馬遷の真似事をしたくてたまらなくなったからです。
しかし、横山光輝氏が史記の中で面白い話を見事に抜粋し漫画化されておりますので、私は可能な限り、横山氏とかぶらず、そして私が古代中国史を学んだ中で、「この人物を私なりに感じたい」と思った人物を今後、挙げていきたいと思います。
勉強不足な所が多いかと心配ではありますが、どうかお付き合い頂ければ幸いです。
そして、このコラムをご覧になる方の密かな娯楽になればそれほどの幸せはございません。
※1宮城谷昌光氏や塚本青史氏・陳舜臣氏の小説に出てくる人物にも本当はかぶりたくないのですが、それは不可能ですので、そこら辺はご容赦下さい。
※2史記以降の時代の人物、中国史以外の人物も時折取り上げますが、それもご容赦願います。

・・・司馬遷って誰よ?って感じた方、是非とも横山光輝氏の「史記 第1巻」を読んでみて下さい。とてもわかり易いです。

ご挨拶(やっとインターネットが繋がりました)
2014/03/02

初めまして、新人の北山と申します。
ページを頂ましてから暫く沈黙せざるをえない状況でしたが、本日やっと・・・私めの部屋にインターネットを引く事に成功しました。
しかも、ワイヤレス・・・感極まっております。
28歳の若僧かつその世代でも、明らかに知識・経験の足りないものが多い私なので、物足りない内容かもしれませんが、一生懸命書いていきたいと思いますので、どうか宜しくお願い致します。


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