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内藤 俊水
第二部 「非日常」 8.

 戦って勝てる相手ではないと分かっていて戦いを挑むほど、ぼくは向こう見ず(よだかのヨッチャン)ではないからお天道さま直系の強敵、紫外線とはなるべく戦わないようにしている。
これを名誉の不戦負けとぼくは呼んでいるが、貴重な勝ち星を拾ったなどと相手は思わない。
なにしろ格が違う、相手は銀河チャンピオン、ぼくはへたれジム所属へたれ級付け出し番付け外。
挑職権順位リストに載せてもらうには、草ランクとはいえ出場したレースすべてで好成績を残さなければならない。
 そこで夏場のこの時期のバイク練習は、チャンプがまだ寝起きでボケていて、力を十分発揮しきれていない明け方から数時間だけとなるが毎日練習した。真面目に練習した。
それはそれは血の滲む、サドルに擦れるバイクパンツに血が滲み汗が染みて痛みでそれとわかるまで、まことに文字通り血の滲む高回転練習を一生懸命にやった。
 3リットルほど汗を染み込ませたバイクのメンテを済ませ、血の乾いたサドルをお湯で絞ったタオルでふき取るともう昼だから、風呂に入ってカラダ側のメンテの時間だ。
風呂ではお尻の擦れたところに湯水がヒリヒリ染みて、それが近頃ては練習量のバロメーター、ヒリヒリが快感なのだから いやはや尻の皮が厚くなったものだ。
厚顔無恥というより厚尻無情 …エーィ クソッ なんでも構わん、強いものが正義じゃ−。
 消費カロリーと基礎代謝分の補給は、近くの焼き肉屋でカルビを食ってビールを飲む。
もちろんプロテインの粉末もビタミンB群の錠剤も待って行って飲む。アスリートには隠れ貧血が多いと間くから鉄と亜鉛剤もビールで飲む。
そうして肉とビールとサプリ剤で満腹するとたちまち眠くなり、家に帰って昼寝もしっかり5時間眠って、相撲界で定説の睡眠時筋肉増大効果に期待する。
昼寝の際エアコンは使わない、建材用10ミリ厚の発泡スチロール板にバスタオルを敷いたスパルタな畳を床に置いてその上に冬用パジャマでゴロンと寝る。腹は寝初めは暑くてもしっかりパンツで覆う、窓は開放して遮光カーテンだけ。
枕は使わない、脳と首と心臓の高さを地平と同じにしたら後は赤子のごとし、手足の位置はもはや知らず。寝ながらも大汗をかいてリンパ流を促進しようという算段。
 夕方目覚めてぬるめのシャワーを浴びるとカラダ中スッキリ感で満ち溢れ、適度に喉が渇いて腹もへっている。
体重計に乗ってみると昼の風呂後の体重より2kg増えて朝トレ開始前の体重に戻っている。
これがすべて筋肉増大効果による筋量の質量なら、贅肉を燃焼して汗として排出しながら必要箇所に有用な筋肉を得た証拠、10日で山本キッドのようなカラダになる。
だがそうはゆかないのがこの世のならい。長年のへたれ生活で慣れ親しんだ内臓脂肪貯蓄型の経済規範が自動的に先行して腹囲のみが増大している。
それでもひどくガッカリすることはない、10日で山本キッドになったら11日目にはスパルタ畳の上で眠ったまま目覚めることは多分ないだろう。へたれ体型にはへたれ度に見合った内臓脂肪量が生命維持の上で不可欠なのだから。
とかなんとか講釈をするうち西の空にきれいな夕焼けが出現すると、練習状況の定時報告をしに近所の居酒屋へ出勤する時間となって街乗り用クロスバイクに乗って出かける。
フロント三段のクランクギヤをミドルにして走るが、脚はクルクル回ってスクランブル交差点を中学生のように斜めにかっ飛び、買い物袋のママチャリをヒラリヒラリと躱して(かわして)追い越し、あっという問に居酒屋到着である。
 エビスビールの看板が去年の台風に飛ばされて、鉄工所の丸チャンが溶接した鉄パイプがちょうど良い高さで張り出している。これにバイクのサドルのレールを引っ掛けるとレース場で見かけるあのバイクハンガーである。
 「よ−っ まくり名人、今日はどこまで走ったかね」
背後から声がかかり丸チャンと富さん,がやって来た。
 「暑かったな一 脱水手前の絞りぞ−きんだがや、生ッ(なま)!」
 「オラー 絞ったって 鼻血もでね−ぞ−、梅ッ(うめ)!」
丸チャンは豚足で生ビール、富さんは冷ややっこで焼酎の水梅割り、どちらもエネルギー代謝に優れたアスリート食である。
暑いなかで仕事を続けた職人食でもある。
 汗を流して労働したら、なるべく早く水分とタンパク質を補給するのは理にかなっている。
クエン酸含有食品を優先させて消化器官に送ってからこれら肉 大豆を食べるとその栄養効果は劇的に向上するのだが、目の前の渇いた労働者にそれは言えまい。
先ずアイソトニック飲料水でカラダの塩分濃度を適性情に戻してからアルコール飲料に手をのばすべし、とする管理栄養学的にはいきなりのビールはお勧めでないのは分かっているが、喉もカラダもカラカラで終業と同時に手を洗うのもそこそこに駆け付けて来た初老の労働者である、生でも梅でも何でも飲ませてやるのが居酒屋の商業道徳というものだ。
レモンの絞り汁を一個分、コップに入れてから酒を注いでいるママさんの陰の努力を知ってか知らずか二人共、ゴヒゴヒと飲む。コップを持って上を向いた喉仏(のどぼとけ)が上下してその都度ゴヒ ゴヒと音がする。
 もし丸チャン富さんコンビが暑かった日の夕方、カラダの要求水分量を水道の水で飲んだとしたらどうなるだろうか。
胃腸は膨満してカポカポ音が聞こえ、ゲップが出て食欲がなくなり何も食べずに風呂だけ入って寝てしまう。