サイトTOPへ 俊水Worldへ 最初のページへ 前のページへ 次のページへ
内藤 俊水
第一部 「秋田」 7.

その苔に降りた霜が水となって沢を下ったのが猿ケ石川、霊川でないはずがない。
 カッパ淵で悪戯カッパの赤河童を遊ばせたのち、流れ下って田瀬湖(たせこ)を満たしさらに花巻で北の大河 北上川に合流する。
その田瀬湖、ヘラ鮒釣り師のあいだでは「巨ベラの田瀬湖」としてつとに有名。
秋が早くて春が遅い東北のしかも山地の湖は、釣り師を受け入れる期間が極めて短い、山桜の咲く 6月末から本枯らしが水面(みなも)を波立たせる10月の初旬まで。
それ以外は民宿に客もなく、隣のカラオケ国際スナックはシャッターを施錠して麓の町に降り、来るべき春を待ち仕事のないスナック嬢は春までに日本語の勉強に努める。
最初に覚えるのは「シャチョサン オカネ サキ」である。
 それはさておき、湖は静けさを取り戻すとやがて雪が降りはじめ 湖畔も湖面も見境のない真っ白な風景のなかに埋もれる。
ヘラ鮒はその冬休み期間中に深場に沈んでゆっくり休み、ときおり上流から流れてくるカッパ養殖用のキュウリ餌を食べて巨大化する。
 ぼくは数年前の秋 巨ベラを求めてこの湖に釣行した。
一週間前に竿を持たずに下見をして「よっし あのワンドであの向きに餌を打てば一時間後には 入れ食いの 巨ベラの ひとり舞台よ ウヒヒ」
と、50cmオーバーでも計測できる“尺ばかり”を特注用意した。
竿を持たずに下見をした理由は「竿を持っていたら下見にならない」からで、そのココロは…説明不要でありましょう。
 東京を出たときは半袖シャツで平気だったのに早池峰へ続く山道を行くうちに風が強まり、気温がグングン下がって民宿を探して右往左往する間に暗くなり、そのうちとうとう霙(みぞれ)になった。
たった一週間で、下見したときとはガラッと季節が変わってしまっていた。
シーズンオフで民宿はもう閉めたという。
寒くてなんとも堪らず凍える前に手当たり次第民宿の看板のある家のドアを叩いて開けてもらい、何度か断られた末に玄関に本当に50cmをはるかに超える巨大ベラの魚拓を飾った一軒で「食事は用意できないが」を条件に風呂の提供と炬燵(こたつ)のある部屋を借り受け、空腹と寒さに震えながら朝を向かえた。
滑る山道をなんとか降りて北上市まで辿り着いたとき、はじめて生還を実感したことがある。
 あれは巨ベラの崇りか河童の呪いか、700kmも遠征して竿を出すこともなく帰った田瀬湖であった。
その後リベンジの機会はないが宮森めがね橋そばの 道の駅 で食べたてんぷらんそばはそれはそれはうまかった。
わんこそばも食べてみたかったが、このときはなによりも温かい湯気の立つてんぶらんそばでなければならなかった。
 へら師の皆さん 田瀬湖の50cmオーバーは本当です、古い魚拓ではありますが現認しました。
釣行には念のためパワージェルを携帯しましょう。
それと入漁券と別に遠野市観光協会発行のrカッパ捕獲許可証』を所持することをお勤めしたい。
500円だが、万一悪戯赤河童に馬鹿されて山道の馬糞キノコを食べ、一時的な記憶喪失症になっていつの間にやら国際スナックの奥のボックス席で、
 「シャチョサン オカネ ダシナ」な−んて処を発見されたときの保険がわりと思えば安い。
それほどにあそこの河童の妖術は強い。
「秋田」なのに「岩手」の話しするなって? あっ そうだった、いつの間に…。
奴め 遠隔の妖術を使いおって、手強いヤツめ。
新年度の許可証をネットで申請しておこうっと。

 太宰治はムチャクチャな嘘つきである
メロスにしてもしかり、ぼくはトライアスリートとしては自他共に認めるへたれ級ではあるが、メロスのあの走り方は人間生理学上あり得ないと断言する。
エネルギーを補給するシーンが皆無だからだ。
“吉永小百合はトイレに行かない神話”と同じ論法を座して見過ごすことは、ぼくには断じて出来ぬ。
太宰の文学は何度も読んだ、だがしかしその都度ぼくの「秋田」は彼の「津軽」を凌駕していると自負する。
メロスの許容を越えた超人能力を認めるのであるならば、ぼくの小説が売れない理由は説明がつかない。
太宰だから許されるというのなら、それは理不尽の極み。
ぼくは真っ赤なテロリストになって玉川上水の堰(せき)に分け入り、水底の栓を力一杯に引き抜くであろう。

 とかなんとか考えながら「EAGLES」の名曲をバックに走るのがぼくのモチベーション維持の秘訣である。
1分間に80回転超のペダルを維持するBGMには何故か「EAGLES」が最適なのだ、
色々試してみたがビートルズではダメだった。
これは音楽家であり偉大な自転車乗りでもある忌野清志郎も、元F1レーサーいま登山家、そしてマウンテンバイクをこよなく愛する片山右京らもこぞって保証する。
実際、「HOTEL CALIFORNIA 」は他のライダーからもリクエストが集中しているらしく何度も流れ、その都度ぼくらの妄想とモチベー-ションは高まり続け3時間付近の危険な山は無事に乗り越えることができた。
1時間ごとに「ピッ」と鳴って知らせる車載メーターの3回目が鳴って、まもなく80キロメートルを超える。
「ヨッシャー 残り1時間を切ったぞー あと25キロ走れれば100kmを軽く越えてソロの部優勝じゃ一ッ」

第二部 「非日常」に続く