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内藤 俊水
第一部 「秋田」 6.

して高名なドクトル・チエコ先生は母性教育の講演の冒頭に聴衆のハートを掴む手法としてよく 日本女性にこそ栄養と休養と教養と美容がいますぐ必要 と話されていた。
エネルギー溢れ。る若い美しい母親が生み育て、母乳を与えながら歌を謳って(うたって)聞かせて、いっしょに笑って 慈(いつく)しんだ真っ直ぐな子供達であればこそ、これからの正しい美しい日本をつくると。
 小池少子化問題担当大臣! チエコ先生の書かれた本を読みなされ。少なくともへたれ本を読むより数倍役に立つ。
 申しあげる 不肖へたれ、赤子のみぎり母の胸に抱かれ(いだかれ)名曲「きらきら星」や「げんこつ山のたぬきさん」を聴きながらオッパイを吸った記憶、いまも鮮明でござる。
なのに、あれより60年 正しい美しい日本 のために何ができたか、なにをすべきか、いまだ模索の途中でござること 恥を忍んで白状いたしまする。

 自転車はエネルギー効率がランの4倍だから距離換算のエネルギー限界は、ランニングの30kmx4=120kmである。
ランニングの30kmといえばニッポン陸上界の星、あの高橋尚子・国民栄誉嬢ですら苦悶するマラソンの正念場である。
ではゴールまでの距離、マラソンが42.2km ホノルルマラソンの自転車版、ホノルル・センチュリーライドが160km と人体の限界を超えて設定されているのは何故か、差額分は「どないするのや」との疑問が生じる。
なんでも 42.2kmは、かつてメロスが太宰治の命令で一気に駆け抜けたマラトン丘陵の茨(いばら)の道の距離とか。
自転車の160kmとはセンチュリーマイル(100マイル)=460kmによる。
自転車界ではセンチュリーというコトバが大好きで、センチュリオンと言えば100マイルをストレスなく走り切る 優れた(すぐれた)バイクのことであり、センチュリアンと言えば100マイルをサラリと走り切ってしまう 秀でた(ひいでた)バイク乗りの尊称。
辛いこと 苦しいことを克服することこそ真に(まことに)尊いとばかり(根性を唱えればなんでも解決すると思っている連中が)人間の生体の限界を超える距離を設定して、 世界標準にしてしまったのだからもはや今更しかたがない。
 体内に蓄積して持って走れるエネルギー量と、マラソンやセンチュリーライドで消費するエネルギー量との差額分を「どないするのや」の答えはコースの要所に配された補給所であり、自転車ジャージの背中のポケットである。
マイ・スペシャルドリンクを取れるか取れないかはその後のレース展開を決定づけ、ジャージの背中に忍ばせた「ガラナ羊羹(ようかん)」やチューブ入りの「練り梅」を落とした選手は脱落してゆくしかない。
 ロードレースではチームエースが万一ボトルを落としたり使い切った場合、これを見たアシストの若い選手は自分のボトルを差し出して前に出るやみずから風よけになり、渾身のペタリングで息の続くかぎり、しゃにむに走ってエースを引っ張る。
やがて力尽きて車列から離脱、草むらに突っ込んで気絶する。障害も起こればそのシーズンを棒に振るが、それがその年の彼の仕事なのだ。
シャワールームでチームエースと隣り合ってもエースが彼に感謝やねぎらいの言葉をかけるとはかぎらない。それでもいいのだ、それはすでにエースが彼を将来のライバルと認めた証拠。
いつの日にか彼がエースにのしあがる。
 補給に失敗しながらも、ヘロヘロになってでもゴ一ルする選手を「根性の○○」と称える(たたえる)のは誤りである。
あれは生命の危険を推奨しているようなもので、ぼくは好かん。
彼がヘロヘロになってでもゴー-ル出来た秘密は「緊急エネルギー支援」をどこかの国の政府のように大国から大判振舞いされた訳ではなく、実際には枯渇した「最後の一滴」を “ランナーズハイの出涸(でがらし)を絞ったエキスで薄めて延ばしてつなぎながらの、あと半歩は走れても一歩となれば神も首をかしげる それこそ死を賭した決死のゴールであったのだ、
決して胴上げなど手荒なことをしてはならない。救急車に乗せるのを急ぐべきである。
 (前述の 自転車は効率がランの4倍うんぬん についての詳細は既刊の拙著『カド号千里を走る』をご参照願う)
 夜鷹のヨッチャンは鳥類属だから飛ぶのが家業、そのため軽量化が伝家の命題。
ジャージのポケットもボトル・ホルダも持たず、オークリーのサングラスだけで飛ぶ。
対してモグラはトンネル掘りの家系だが地上系だから荷物の置き現には困らない。
ヘルメットにミラーのサングラス、ラメの腹巻きにがま口の財布をのぞかせ甘藍染めの絆天(あいぞめのはんてん)をいなせに引っ掛け、重いスコップを担いで地下足袋履きだ。
そしてここが一番大事なところだが、唐草の風呂敷に包んだ大きな弁当箱を首っ玉にしっかり背負っている。
 ヨッチャンの生親 宮沢賢治が職場体験で訪れた銀河鉄道釜石線の田瀬湖トンネル工区、宮森めがね橋工事事務所、飯場の木板階段に腰かけカップ酒を手に銀河の星空を仰いだあの時代には、、軽くて携帯に便利でエネルギー濃厚 ヨッチャンに持たせるべきだったと後で悔やんだという補給食の傑作、あのNASAですらも宇宙飛行に帯行を義務付けるスーパー・パワージェルはまだ発売されていなかったのだ。

 田瀬湖という湖をご存じない方が、円沢湖の誤植ではないかと思われるであろうから少々解説。
 岩手県では宮沢賢治に次ぐ著名人 柳田国男の『遠野物語』に描かれる「カッパ淵」を流れる川の名は猿ケ石川、遠く早池峰(はやちね)山を源流とする霊川である。
 はやちね
早池峰山は石と岩だけで出来た山、土は一切ない。背の低い草木は岩に張り付いた僅かな厚みの苔(こけ)にしがみつき風雪に耐える。