サイトTOPへ 俊水Worldへ 最初のページへ 前のページへ 次のページへ
内藤 俊水
第一部 「秋田」 5.

と言って席を立ったが、彼の右手の甲に“クローバーに星”の入れ墨が、小さいながらはっきり残っているのをぼくは見逃さなかった。
ワインに酔うことでよりはっきりとカラダに星が現れたのであろう。
 この村に近代営農を導入し、かつて海だった干潟の寒村を日本一のリッチ村に主導した大人物の三代目が現村長、そしてこの巨大ホテルや温泉観光施設グループの総帥を兼ねると聞き、
「ははァ ぼくのボスはただ単にぼくをサイクルイベントGメンとして派遣した訳ではないな」と合点がいった。
「大潟村に密かに伝わる独立国樹立構想、はたして今はどんな様子で煙って(くすぶって)いるのか、内側に潜航して探れ」
ミッションの真意はこれだ、でなければ公費で自転車レースに出してくれる程ボスは甘くはない。
「でも、これは公安の仕事ではないか? 対マフィアなら、その方面のプロがいるだろうに」
「そ−か 「国家転覆分子諜報対策室」には自転車乗りが居ないということだけなのか−」
あそこには同期のゴルゴがいる、彼は縁日(カーニバル)の射的は上手だったが自転車手放し(サーカス)乗りではいつもぼくのほうが得手だった。
「だいこんワイン」を傾けながら深遠なる思いに耽る(ふける)ぼくに構わず、腹ぺこマネージャーは両手に男鹿半島特産の岩カキと殼つきウニを手掴みしては掘ぢ繰り出して、ベロリベロリと平らげる、しかも追加の手を挙げてヒラヒラしている。
 「まァ いいか、公費だもんね」

 真夏の4時間自転車耐久レースは終盤を迎え、すでに100台程が姿を消した。
ペース配分の誤りと補給の失敗で体力と気力を消耗させ、加えて暑さが尋常でないから脱水性熱中症を起こして落車したり、自力で本部前までたどり着いたものの脚が痙撃していてビンディングペダルからシューズが外せず自転車ごと倒れる者もいる。
農協の軽トラがパトライトを回転させて走り回り、鉄板むき出しの荷台に落伍者とバイクを乗せてぼくの自転車を追い越して行く。
荷台で背をキャビンにもたせ掛けて目を閉じるライダーの表情は、苦しいようにも見えるが、「やるだけやった、今日は敗れたが次は勝つ」
敗退の将はなにも語らず手渡された冷たい水ボトルを目を閉じたまま口に運び、疲れたカラダを軽トラの振動にゆだねる。
今はなによりもバイクを降りたことが悔しい、だがその反面「もう走らなくてもいいんだ」との安堵感が彼の表情に漂う。
 救護所の周りには主を失ったバイクが何台も芝生の上に放り出してあって、周回を重ねるにつれその数が増えているのがわかる。
大会本部前を通過するたび目に入るその光景は、そう遠くではない過去にぼくの父が見た異国での光景に似ているのかと、ふと思う。
 硝煙けぶる戦場の、爆撃で出来た穴のそばから拾い集めた鉄カブトが山に積み上げられ、そのなかに見知った男の名前を見つけ はっとする。
だが手にとって抱きしめてやることは許されず。
振り返り、振り返っては手を合わせ、敗走の行軍を急ぐ父が見た異国の草原の光景。
 いまのぼくの半分の年齢の若者が、趣味や娯楽や自分の意思でなく否応なしに見た累々の光景。

 「おのれ根性との戦い」が本大会参加の本意ならば、根性が陽射しに負けて困冗(こんじょう)していてはいま戦うべき今生(こんじょう)の相手を見失ってしまう。
お天道さまを仮想敵として挑み、空を昇り続けて遂には太陽に焼かれて焦げ落ち、彗星となって今も宇宙を飛び続ける身のほど知らずの代表選手「夜鷹(ナイトイーグル)のヨッチャン」の話しは自戒の教訓話しとして有名だからぼくも知っている。
 夜鷹が墜落した原因の真相は、根性が尽きただけ。
だが巷(ちまた)では彼を神格化するべく、その原因は補助推進翼を固定した蝋燭(ろうそく)のロウが太陽熱に溶けたとか、羽ばたく翼の下側の空気密度が高度を増すほどに疎(そ)となり、揚力を発揮することが不可能な宇宙の神の領域にまで達してしまったことによる浮遊力の低下にある。
など色々言われているのだがどうにも嘘っぽい。
まず第一に、夜鷹の正体は闇を好む夜行性の黒めがねの烏(カラス)である、サッカー日本代表チームのマークにも使われる足が4本あるあの神話の烏“ヤタガラス”ではない、亜種の二流の普通種でヨッチャンは少々変わり者だっただけ。
 彼の睨むのは地表の夜のサッカー場、芝生のゴールポスト奥で顔を出したり引っ込めたりしているモグラやミミズであるから、お天道さまの方向に飛ぶことはまずない。
また、高高度で空気密度が疎となるのは今や常識だが、翼が推進力を発揮できなくなる程の高度では呼吸系酸欠の影響のほうがより深刻にあらわれるから否応なしに高度が下がり、呼吸と揚力を確保できる高さを自然吸気(ノーマルアスピレーション)の限界とするのが普通であろう。
その高みまで下がっても踏み止どまれなかったのは、推進力を生む翼筋のエネルギーが切れそうになったとき補給のすべを持たなかったから。
同時に脳の活性酵素も活動を停止して胸キュン回路を遮断、飛び続けるモチベーションが萎んだ(しぼんだ)から。
 つまりやっぱり根性が尽きたのだ。
この状態を「疲労困憊(こんぱい)=ハンガーノック」という。
となると根性とは体内に蓄積したエネルギーの総量とその使い方によって決まると言える。
 ひとが体内に蓄積しておけるエネルギー量は、ランニング換算30kmと言われている。
人体のパワー量については、前出のムツ博士、Dr・マンボウよりもっと以前、日本の母と