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内藤 俊水
第一部 「秋田」 4.

同じフロアに披露宴の二次会で盛り上がる地元紳士淑女の一団があり、鼻の頭を赤くした紳士が縞のネクタイを引き抜いて鉢巻きを始めるのが見える。
「あ− よかった、彼らもそのうち地が出るさ なんてったって秋田だもん」
地産地消の材料によるフランス料理は、明日レースを控えて炭水化物重視(カーボハイドレートパーティ)の食事でエネルギー貯金となる糖質を蓄積したいアスリートには合わなかったがホテルオリジナル「だいこんワイン」は良かった、2本も飲んでしまった。
 客のぼくたちより数段身なりの良いシェフが客席を挨拶に回り、明日10時がスタートのぼくの朝食のレース食を日本食にして欲しいとマネージャーが相談すると
 「大潟小町の米粉を帆立貝柱のスープで練って蒸したスペシャル パワー団子」を用意してくれるという、嬉しくなってお持ち帰り用「だいこんワイン」を1ケース予約してしまった。
話し好きのシェフに同席を勧め、今宵の献立の妙を褒めちぎって「だいこんワイン」をさらに勧めればグヒグヒと飲む。
そして自慢げに話すには、このホテルの社長さんはこの村の村長さんでもあり、さらには明日のレ一スの大会名誉会長でもあるという。
開会式で祝辞を述べ、スタートの号報をも鳴らす重要人物(スーパーエグゼ)だという。
 村の先々代の開祖村長は社長のご祖父君、国策事業としての干拓地入植が開始された昭和20年代当初から初代村長として手腕を発揮、入植希望者ひとりひとりに面接して営農への情熱と技能を確かめ、資金力のない補助金目当てひとやま狙いの似非(エセ)農業者を徹して廃して、健全者だけの欧米型大規模機械化農業王国の理想郷建設をめざした。
 その後増える入植者を制限して50人までとし、耕地不足から生ずる無益な争いを回避するなど大英断を随所に発揮して争いのない村づくりに奔走。
一息ついて倅に家督を譲ると大木が枯れて静かに倒れるように死んだ。
時の宰相 田中角栄は目白の自宅で訃報を開くなり立上がり、手にしていたオールドパーのボトルを庭石に向かって「ハッシ」と投げつけ、
 「オヤジさま−ッ」悲鳴ひと泣きしたのち
 「車  引け−ッ」
東京から一晩中車を飛ばして未明に翁のまくらべに駆け付けた。
都のただならぬ動きは秋田県庁にも伝わり、知事県会議長以下あわただしく勢揃いして翁の庵を訪ねれば、そこには喪章に自ら墨書した「葬儀総代」の印しを付けて黒紋付きに白足袋姿 真っ赤に紅潮して日の丸の鉢巻きに襷(たすき)掛け 仁王立ちする田中角栄。
 「遅い!」
と一喝されて皆平伏した、とは有名な話し。
 翌年には高速秋田自動車道の図面書き調査隊が続々と秋田入りした、というのだから角栄さん よほど一般国道で車に揺られ秋田新幹線建設に加え、新高速国道構想を新潟以北にも延長の必要を得たとみえる。
この話しをしているときのシェフの横顔は嬉しそうに上気してテラテラと輝き、それはあたかもキューバ・ハバナの路地裏の薄汚れたパーで戦闘帽を尻ポケットに隠した若者がカウンター奥の壁にいまも残るチェ・ゲバラの写真に見入るときのようであった。

 二代目当主は初代の遺徳をよく引き継ぎ、昭和後期の経済危機やら大地震やら幾多の試練困難を乗り越えて平成の初めには借入れゼロ、完全黒字経営者が村民世帯の9割を超え日本のあまたの農村に類をみない「成功の村」を実現した。
 生産物品は県内流通の枠を飛び越え、都会の有名デパートやスーパーと直取引の契約栽培方式。常に価格は安定し、大潟ブランドの肉や野菜を指名する消費者は組合を作って大潟産品の人手を確保する。
米に至っては、光り輝く「大潟小町」、生産者本人と消費者組合員以外の口にはめったに入らないと言われる名品中の名品、
明日ぼくたちの朝食にその小町団子が出るという。
 かつて海だった新陸地には古来の害虫がおらず害草もなく、農薬・殺虫剤の類い(たぐい)は要らぬ。
村の道路は真っ直ぐに何10Kmも続き、隣村とを境界する防風林は太くガッシリと育ち、他村の者は犬猫といえども牧草畑を越えて迂闘(うかつ)には近寄ることを許さぬ悠揚たるおもむきを誇る。
 現社長に事業を委ねた後は県議会議員の要職を長く務め、その主義主張は一貫して大潟村の自主独立であった。
水を県内の川に頼る以外はまったく県のお世話にならぬ村の豊かさを妬んで、合併を持ち掛ける近隣市町村と真っ向から渡り合い、一時は日本国から独立してモナコ公国のような「ハチローガッタ国」を創建しようと真剣に考え、国王にはサトーハチローを担ぐところまで話しは進ん,だ。
しかし自領内には真水の沸き出す大川がないことが一番の懸念、他領地内の上流の川で奥羽山脈の雪解け水を曲げられたら自主独立を保つのは至極の困難。
海水あるいは干潟の塩分の残る水から真水を造り出す装置はあるにはあるが、巨大な風車で運転してもコストの割りに得られる真水の量はわずか。
農産用の大量の水を産み出すのは大変に難しい事業、とても川に流すには至っていない。
むしろ巨大風車で発電機を回し、電力を東北電力に売電して得た全てミネラルウォーターを買って川に流したほうが良いくらいである。
今のところ独立構想はおくびにも出さず、引退してすっかり年寄りになった風を装いながら盆栽の葉っぱなど毟り(むしり)、ガッタ国の星形国章のデザイン案を鉢に映す今日この頃である。
 シェフは喋り過ぎたと気付いたか、係りを呼んで自分の前のテーブルをキレイにさせると、
「ごゆっくり 大潟村の夕景をお楽しみください」